自分を責めたり罰することも自分を「幸せ」にしたかったから
みなさんは自分のことで「ダメだな〜…」って思うところありますか?
そしてきっとそのダメな自分を自分自身で更に責めていると思うんですね。
こんな自分はダメだって
でもそれって自分自身を「幸せにしたい!」と思っているからこそ「こんな自分ではダメだ!」って無意識に責めちゃうんですよね。
つまり、ダメだと思っている自分も、他のどんな自分も
結局”目指すゴール”は「幸せである」ということ
でも世の中には”こういうのが幸せなんだ”っていう集合意識があって、それは常識に基づいていたり、誰かより、やることや才能が秀でて無ければならないとかね。
その幸せは誰かが決めたものなのだけど、何故かそれが幸せの基準なんだとみんなが無意識に思ってしまっている
だからそこを基準にして「こんな自分はダメだ」「幸せになるにはもっとこうしなきゃ」になっているはず
(あ、無意識だけど)
でもそうやって自分を罰したり責めているのだけど、その目的というかゴールは自分自身を『幸せにしたいから』
相反する想いですよね
だからキツイ
だって罰してたり責めてたりしたら一向に”幸せというゴール”に辿り着かないと思いませんか?
例えばすごく身近な親とかパートナーとかがね、あなたの幸せを思っているけど「お前はそんなんじゃダメだよ」「そんなんではお前は幸せになれない」「もっとこういうとこ直した方がいい」「まだまだ!」と言われ続けててあなたは「幸せー♡」ってなれますか???
どんどん
「自分はダメ人間」
になっていきませんか?
それと同じことが自分の内側でも起きてるってことです。
起きてるというかそう”してる”というかね
本来、私たちは幸せになる為にここに生まれてきます
色んな経験も楽しむため、そして幸せになるため
「今世私は不幸になるぞ!」なんて誰も思ってきませんw
つまり、今どんな状態であれ、自分を幸せにする為にここに存在しているんです
悩むことも、苦しむことも、悲しむこともあなたのベースは全て
幸せにするため、幸せになるため
今もしキツい状態だとしても絶対に不幸になるためではないんです!
そう考えると、日々頑張ってる自分が少し愛おしくなりませんか?
ってことはですよ!
本当はね、自分を罰したり責めたりする必要は全くないんです。
どんな自分も!
あなたはそのままのあなたをそれでいいと認めてあげたらいいの
親やパートナーにね「お前はそのままでいいよ」「どんなお前もそのままのお前が大好きだよ」って言われることを想像してみてください…
めちゃくちゃ心があったかくなりませんか?
それを自分自身にしてあげるんですよ
あなたはあなた自身を罰したり責めたりしなくていい
そこが大事なんです
だって私たちは誰1人として同じではないから
色んな人がいて色んな役割があってそれでいいんです
私が本当に楽になれたのは、自分のダメだと思っていた部分を自分で認めたから「それでいいって」許してあげたからです
昔はガチガチに出来る自分で固めていて、本当はニガテだったり出来ないくせにそこを隠して、ちゃんとできる自分を演じていました
(そこにエネルギー使いすぎていたせいでいつも謎の疲労感に苦しんでましたw)
「もっとちゃんとしないと」「もっとできる自分じゃないと」「そんなんじゃダメだからね!」「幸せになりたいならもっと頑張らないと!!!」って無意識に自分にいつも言っていたと思います
そしてね「もっと頑張らないと!」って思ってる人いっぱいいると思う
でもさ〜みんなもう結構頑張ってると思うの
だからもうそろそろ頑張った自分を認めてあげていいんじゃないかな?
自分を幸せにするために沢山頑張ってきた自分
そんな愛おしい自分を認めてあげよう
そしてそのいつも罰して責めてたダメな自分にこそ、あなたの才能が眠っているかもしれませんからね!
(私がリーディングでより深くその人に入れるようになったのもダメを認めてからです)
本当にね、そのままのあなたは全然ダメじゃないから
このままの自分ではダメだと思ってる自分、「ま、いっか」って愛おしい想いでゆるっとしてる自分
どっちでもベースは”自分を幸せにする”ってとこからだから、どっちも同じゴールならゆるっとがいいよね