もう小さい頃から既にあった”本当の自由と愛と豊かさ”
昨日は『一粒万倍日+天赦日』というとても縁起の良い日でしたね。
皆さんはどんな一日でしたか?
私は新たな始まりの為の大事な予定があったのですが、大切な親戚の葬儀と重なったんです。
「葬儀が終わったら少し顔出しできるかな・・・」など色々考えてはみたのですが、その出来事に抗わず大事な予定はキャンセルしました。
その不思議なタイミングの流れに心も逆らわず委ねていました。
そしてこの選択が本当に良かったのです。
亡くなったのは私の大尊敬する経営者とし大成功を納めた叔父さんだったんです。
とても強く厳しい面はありましたが、本当に人情深く大きな愛を持った叔父さんでした。
(例えて言うなら厳しさは深い愛からある不動明王みたいな感じ!)
そして叔母さんとの関係もとても素敵で、いつも2人の時間を大切にしていたんです。
子供がいても、一般的な母親父親像ではなく、とても自由で仲良しでした。
(子供たちもみんな理解してます^_^)
本当に自分らしく生きていたんだな!って今しみじみと感じます。
でも生まれつき身体の弱いところや昭和の激動の時代から経営者という立場で沢山の困難を乗り越えてきたせいもあり、何度も病にかかっては立ち直ってきていました。
そして上手く動かなくなってしまった手で最後に妻である叔母さんへ書いたメッセージが本当に感動でした。
短いけど今までの全ての想いが詰まったメッセージです。
「こんな体で大変すまなく思っている。次生まれてくる時は元気で来ます。生まれ変わってもまた一緒になりましょうね。」
ものすごく厳しかった時代から叔父さんの歴史や叔母さんとの関わりを改めて振り返って、感動が止まりませんでした。
そしてね、
「あー・・・やっぱり私の求めていた世界は既にここにもあったんだ。」
って改めて気付いたんです。
私の魂が求めている
”本当の自由と愛”
”どこまでも続く自由と愛”
これを昭和の時代から体現してくれてる人が、私の父母の他にもいたんだ・・・
叔父さんと叔母さんもだったんだな〜こんなにも近くにいたんだ・・・って衝撃でした。
だって昔は
全然見えてなかったから。
私の家庭や親戚関係は、一般的な概念からしたらかなり複雑なので「何でもっと平凡で平和な家族や親戚に恵まれなかったんだろう。」「なんでこんな激しい人間関係の中に生まれてちゃったんだろう。」「私は今世幸せになってはいけないんだ」って勝手に十字架を背負い自分の生まれてきた環境に周りと比べてものすごい劣等感を感じていたんです。
でもただ見えてなかっただけだったんですよ。
私が喉から手が出るほど欲しいものはもう既に目の前にあったんですから。
ずっとないないない!なんで?なんで?って探し求めて追い求めてきた”本当の自由と愛と豊かさ”
世間の常識や制限ではなく、本当の自由と愛を生きている人たちがこんなに近くにいたんですよ。
だからこそ私はもう知っていたんです。
昨日葬儀に行き、ものすごい深い気付きと叔父さんと家族から大きすぎる愛をもらい
私は改めて
「生まれた時からなんて幸せな人生だったんだろう」
「私はなんて素晴らしい環境を選び生まれてきたんだろう」
と感謝と感動とでジーンとしっぱなしでした。
(私の小さい頃の記憶は不幸な記憶しかなかったんです。それが今では全ての本質を知り最高に幸せな記憶しか無くなりました^_^)
私は確実に
『この環境を自分で選択してきた』
とまた自信を持って言える素晴らしい気づきでした。
(みんなもそうなんだよ^_^)
”葬儀”
一般的な感覚からだと悲しくネガティブな感覚になりますよね。
でも、今回私にとっては命という陰陽の世界観
死=陰の世界から
(私は死は怖いもの悪いものとは思っていません)
大きな感謝が湧きそこには深い深い本物の宇宙の愛があったんです。
こんなにも深い愛を感じさせてくれた叔父さんと家族に感謝してもしきれません。
『一粒万倍日+天赦日』
”私の命の原点”
”そしてどこまでも続く自由と愛”
”本物の優しさ”
そんな素晴らしいことに深く深く気づかせてくれた特別な日になりました。
森羅万象
自然の流れによって自然ととても大切なスタート地点に立ったような感覚です。
流れというものはとても不思議でもあり、逆らわずに委ねていたらちゃんと”もうあるべきところ”へ連れていってくれるものなのだと改めて感じた一日でしたよ